Zi分子∼流れのまま、心のまま

幼き日の心象風景…徒然に独り語り

引っ越し

小学校にあがる一年位前に家を引っ越した。
営団地が当たったようで新築で2階建ての当時は流行りの住まいの形だった。

何軒か同じ年頃の子供が居たので直ぐ仲良くなった。
3軒隣に一つ下のショウちゃん、右隣は2つ下の男の子。名前は忘れた! 幼稚園が無い日は遊んでたようだ。

普段は毎日?妹と2人、幼稚園に行く。

幼稚園に入る前は保育園に行ったような気がするが、ほとんど記憶がない! ただノッポさんとゴン太君のテレビは見ていたのは覚えている。

朝早く、母親に連れられてまだ開いていない幼稚園に行かされた。母親の仕事が早くに始まるからだろう。幼稚園が開くまで、隣のお寺の住職さんのところでコタツに入ってた。

このお寺が幼稚園を運営してたからお願いしてたのだろう。

毎日幼稚園が終わってみんながバスで帰ってからも居残り組で母親が迎えに来るまで妹と遊んでた。
夕暮れに格子越しに妹といつも外を見てた。

ふくれっ面

怒られた時、「なにふくれてるんや!」と言われ、これ以上怒られたく無くて、膨れたホッペをすぼめると「口をとがらす程ふくれるのはまだ叩かれ足りんようやな!」と言ってより一層殴られた。膨れてると殴られるので、膨れてるホッペを小さくするつもりだったのに…
10歳位になるまで拗ねた顔が口を尖らす顔で、膨れた顔をすぼめるとくちびるが尖るように見える事に気付かなかった。
親への口ごたえ、反抗は御法度!
反抗期に入るまでこの育て方は続いた。

時計の針

ある晩、母親は私がマグマ大使を見ている時、「この針がここに来たら帰って来るからテレビ見て大人しく待っとき!」と言って出て行った。

「この針が9のところに来たら…」マグマ大使も終わり、針が9のところに来ても母親は戻らない! 近所を泣きながら走り周り、隣のおばちゃんにばぁばのところ迄連れて行かれた。

母親が戻り説明を聞いて大人は納得したようだが母親はきっちり叱られたらしい…

マグマ大使は夜の7時から、母親が指したのは、短い針が9の位置つまり夜9時に戻ると言ったらしい。
幼い私は、長い針が9の位置、夜の7:45に戻ると思ってたようだ。時計の概念は4~5歳の昔の子供にはまだ無かっただろう…

父親が怪我で入院した病院に行くためだったらしい!

ばぁばの帰った後、思いっきり殴られた「あんたは人の言うことも判らん馬鹿か!」

夜更けに一人子供を置いて行くのは馬鹿では無いらしい。

スーパマンごっこして風呂敷をマント替わりにミシンから飛び降り、風呂敷がミシンに引っかかっておでこを打って泣くと、「もうお前なんか死んでしまえ!」と思いっきり首を締められた。なんか頭の中が気持ち良かった!
気がついたら布団で寝てた。
鬼のような母親の顔は何十年経っても忘れないものだ。

ガキの戯れ

近所のガキ大将にいじめられながらも遊んでる時、「5円でハエ取り紙を買って来たら面白いことしたるけん」

母親に何と言ったか覚えてないが、5円もらって近所の金物屋でハエ取り紙を買って持って行くと、ぐるぐる巻きにされた。

家に帰ると顔が3倍ぐらいになるまで殴られた。

またある日、玄関先で遊んでると例のガキ大将が来て、無視してると砂をかけられ目が開かなくなったので泣きながら家に入ると、首を掴まれ浴槽の中に頭を無言で突っ込まれ「はよ目を開けぇ!でないと死ぬぞ」と言われた。死ぬと言う意味は判らなかったけど、怖かった! 死ぬのが?勿論NO!、母親が‼…なにせ水の中は息が苦しいので…

風景 音 匂い

最近修羅の街と呼ばれるようになってしまったところからそう遠くない町「どうげん?」住んでいた町の名前を綴れるわけも無く、音だけ記憶が脳内にある。

長屋のような借家、路地向いの焦げ茶色の高い木の塀、向いに住んでいる詰め襟姿のお兄ちゃんの部屋から聞こえる「骨までぇ~骨までぇ~」の歌…
これが最初に記憶した歌謡曲の一節。

寒空の夜遅くに知らないオバちゃんから「ばぁばのところに行っておき!」と追い出される。

一晩明けて家に戻ると妙な生き物が布団に包まってた。妹だった 正直気持ち悪かった!
最初の感情かも知れない。
夜寝る時、奥の部屋から「ペンタックス!ペンタックス!ぼーえんだよ!ぼーえんだよ!」の後に「あ~ぁっあ~!」と聞こえた。
あれはターザンのTVドラマだったようだ!
たしか、水曜日あたりは「わんぱくフリッパー」と言うTVドラマだった気がする。

覚えは無いが、どんなに親が忙しい時でもテレビの前に寝かせておけばぐずらず、ずっとテレビの画面を見てたようだ。一人遊びが好きなのはこの影響か?

レプトケファレス

物心ついた頃の記憶さえ、断片ながら映画の一コマを思い出すように鮮明な場面が脳裏に写し出される。

生まれたのは、「おりお」と言う町らしい⁉
生まれて直ぐの記憶は無いので判らない‼
まだ物心は無かったようなので思い出す画像も無い。

遠賀川のほとりで誰かに背負われ、揚げパンの中にカレーが入った棒状のものを食べた記憶が有る。懐かしい感じだけど、あれが何か…あれが誰かが判らない!
母親の背中では無いのは確信がある。

たぶん、ばぁばと言う人だとは思うが…
今だにその影響か、カレーパンが好物の一つ。
これが最初の物心がついた記憶の場面1号だ。